ひとりのとり

 

 

小さな背に

ひしめく羽

いつできたのかわからない傷を

いぶかしげに見つめながら

腕から生まれる世界を放つ

狭い呼吸にせかされるように

傷つき倒れることも知らずに

けして自ら輝かない

鏡をまとった姫のように

まだらな夜の木の陰から

月の行方を追いつづけている

 

 

春が終わり

一瞬の紫が

夜の庭に笑む

別の空の鳥が

光の波打ち際に降り立ち

巨大な掘削船の向こうに広がる

打ち捨てられた永遠を見ている

 

 


 

 

 

 

 

諸断連想(冬)

 

 

来るはずのないものを待つ

冬の蜘蛛のように

終わることを知らないひとつの季節と

同じ永さのなかでふるえる

 

 

汚緑の湖に打ち寄せるオーロラ

波の奥から

太陽を手にした盲人があらわれ

世界は渇く

曇の下にひろがる光の輪

水を雨に変えてゆく

 

 

手を切る草が集まり

原になり

ざわめいている

砂の音

砂の声

雨が去った後の午後に

行為から行為へとわたる虹

他の手のひらと手のひらを合わせ

次に起こることを待つ子の瞳

 

 

壊れた椅子に座り

壊れた椅子を見つめていた

冬の唸り声が

ひとつ ひとつ

永い時間をかけ かたちを捨てながら

夜へ夜へと飛び去っていった

中庭の椅子

雪の下の椅子

来るはずのないものを待っていた

 

 


 

 

 

 

 

 小さな歌

 

 

涙のなかの二重(ふたえ)の花

小さな歌と  軽い足ぶみ

指がぜんぶ  ひとつずつ

翼になっていくような

それでもけして地を離れない

微笑むような足ぶみ

歌う先に雲はひらいて

遠い水の光を呼ぶ

 

 

カラスの羽を持つ蝶が

海の向こうのほころびへ飛ぶ

待ちかねたように夜が鳴く

待ちかねたように花が咲く

途切れ途切れにつづく声

雨の光に洗われる世界

再び朝まで歌われる世界

 

 

人を見たことのない動物に

誰かに起こされるのを待つ泡に

じっと触れる

腹から胸

胸から口

口から空へ

ひらかれる

ひらかれる手のひら

 

 

世界は速く

世界は遅い

同じもののない悲しさを笑えたとき

流れのような歌が生まれた

忘れたくない言葉が生まれた

無と壱のあいだにある

すべての波の声に応えて

小さな歌は羽のなかで

小さな足ぶみをつづけてゆく

 

 


 

 

 

 

 

 午後と水晶

 

 

門をとりまく

黒い布の花

庭を横切り

午後の光になっていく猫

風のなかを振り返り

雲を見つめる目を閉じる

 

 

暗闇に目が慣れて

最初に見えてくるものひとつひとつが

そのままでいることの悲しみに満ちているのは

応えが無いことを知っているから

独りであることを知っているから

 

 

冬の樹の環の中心に

黒と金の目の鉱(いし)の子が居て

想いが届く世界を想う

人の作り出したものすべてが

それぞれを生んださびしさと幻を超えて

見つめることのできるかがやきのなかでひとつになり

もう一度あたたかく

独りに分かれてゆくように

もう二度とつめたく

まとまることのないように

 

 

話し終えたものから先に去っていき

見わたすと誰も居ず 何も残らない

冬の野外の劇場で

独りだけ踊りつづけ

時間を超える者がいる

時間を超える花がある

 

 


 

 

 

 

 

 ノート(冬の蛇)

 

 

道端で

ガードレールを呑み込んで

冬の蛇が死んでいた

白く 汚く

冷たく 硬く

すべてに背中を向けていた

 

 

ひとりの少女が泣きながら

蛇の頭を撫でていた

私は言った

冬になればまた蛇は生まれる

少女は言った

同じ蛇が生まれるの

私は言った

わからない

けれども蛇が滅びることはない

彼に再び会いたいのなら

手のひらや涙で接しないほうがいい

彼はひとり

彼は冬

彼は言葉そのものだから

 

 

少女はまだ泣いていた

ガードレールの硬さが残る

蛇の腹を撫でていた

 

 

少女は言った

言葉なんて知らない

 

 


 

 

 

 

 

 天花(てんげ)

 

 

堕ちた孔雀が集まる場所で

ただひとりかがやくものは傷を得たもの

白く織られた光の羽の

かすかなほころびから見える花

光や音の波の向こうに

見えること 見えないことの向こうに在る花

 

 

雨が地を押し戻す

それでも地は昇ろうとする

永い永いはざまがあり

いつか雨が降り止んだとき

願いも想いもひとつになり

天の花が咲くのを見ている

 

 

こぼれ落ちた花々を

白く乾いた花々を

やわらかく踏みしき

たちどまる素足

原と川とが交わった日に

花をまとい生まれた子

水のようにめざめた子

 

天の花  陽の花

光のよろこびに身をよじる花

月の花  地の花

手のひらの水に映る花

静かに凛と伸ばされた

淡くかがやく夜の喉に

ゆっくりと傾き 飲み干される花

夜の肌のすぐ下で

小さな羽のように火照る花

 

 

天の花 手のひら

無垢の花 ひとひら

羽の花がふりそそぐ

互いに重なりふりそそぐ

ひろげた腕にふりそそぐ

見えない器にふりそそぐ

 

 


 

 

 

 

 

 降り来る言葉

 

 

ひとり ひらく 夕暮れの手のひら

灰色の高みの

氷のような雲から

午後を

午後を と

つぶやくもの

 

 

ゆくえ知れぬその手に

裂けた花をのせれば

はじまりはよみがえる

空は無数のはばたきとかたむき

空は無数の空の一粒

空は無数の音の遍歴

 

 

水彩の空に生まれた

青と緑のあつまりが

立ちつくすものに微笑んでいる

なにもかも かくすところなくひらき

微笑んでいる

 

 

短く切った髪の夜明けに

光の糸をたぐりたどれば

心はよみがえる

かがやきつかれた かたちのない星座が

生まれてはじめて海に語りかける

見えない雨や

見えない雪

あなたのなかにある

見えないすべての水がいとしい

音だけが静かに

かたわらをすぎてゆく

 

 

風のない日

涼しい花のように降り止まない雪

雪の他はなにもない美しさのなかを

泣きながら

ひとり空を見上げながら

ひろく ひろく

ゆがむほどひろい光のなかを歩いてゆく

 

 


 

 

 

 

 

 午後の子

 

 

灰色の光

開かれた窓

庭の切られた木の前に

ひとりの午後が立っている

乱れた髪の

乱れた羽の

飛べない午後が立っている

 

 

雨雲と空の境いめをふちどる

青い骨の火

川辺に立つ子が

濡れた光をあびている

沈黙と踊ることにも

大きな葉の下にいることにも疲れて

夜へとつながる坂をのぼる

 

 

水路にまだらな星が来て

流れの上でまたたいている

小さな庭から遠く離れて

空へ 地へ 手を振りながら

ささやくようにかすかな

かがやきの夜を歩き

有限の子は 鳥の子は

命のめぐりを越えてゆく

どこまでも午後の腕(かいな)もて

どこまでも光の器もて

 

 


 

 

 

 

 

 声(草と火)

 

 

声は告げる

「風が少し強くなったような気がします」

 

問う前に答える

「岩と岩の間を行きましょう

枝で隠された路を」

 

独り言のようにつぶやく

「昔は水のにおいがしたものです

 こんな午後にはいつも」

 

離れては近づく

「池のまわりの沈んだ木々が

光になろうとしています」

 

あらゆる方向から

降るようにささやく

「あそこに雨が見えてきました

会いに行きましょう」

 

声は続ける

「花や葉を聴くことが

恐ろしくてたまらないという人もいるのでしょうね」

 

首に沿って泳ぎながら続ける

「すべての風景が消えてしまったとしても

見ることをやめないでください

目が潰れても

語りかけるものがいなくなったとしても

見ることをやめないでください」

 

声は触れる

「もうすぐ土のための雪が訪れます」

 

声は幾度も触れる

「二つしかなかった季節が

三つになろうとしています

水たまりの上に立つ

霧のような光の円柱から

新しいけものが生まれるのです」

 

声は告げる

「あなたのけものです」

 

 


 

 

 

 

 

ノート(わたる光)

 

 

わたしを忘れた光が

昇りつづけて朝になった

目を閉じても冷たい指先

さよならを言う光に触れた

 

 さらさらと

 さらさらと

 

 

雨雲が川のなかを遠去かり

水鳥を連れていってしまった

橋の上ではたくさんの人たちが

消えてゆこうとする午後を見ていた

 

 

もうすぐ海が見えるところで

草の舟は沈んでしまった

波の間に立つ翼の木から

独りの鳥が夜を照らした

 

 

醜く美しい子が川岸に

呪文のように立っていた

朝のなかで閉じられた手が

どこへも行けない光に触れ ひらかれていった

 

 

 さらさらと

 さらさらと

 

 


 

 

 

 

 

 はじまりの日

 

 

何かを抱くたびに傷は増える

風に血を撒き

凍った土を抄り牝牛を埋める

傷は笑い

飾りは砕かれ

二月は射抜かれる

 

 

答えもない

計りもない

よろこびの容れもののような国だけがあり

近づく肉と心を奪う

あふれ あふれ

さらにあふれながら

滴をまとい微笑む生きもの

草の海を分け現れる声

 

 

けだものの骨からつくられた楽器に

小さな嵐をいくつも閉じ込め

誰かが撒いた血の歌を追うもの

幼く過密な王国が破け

枯れ原に見たこともない青が流れ

ひとりの歌うたいを置き去りにする

 

 

忘れることもなく 失うこともなく ただ言葉を知らない

常に濡れた髪 濡れたうなじ 凍ることのない踊りと笑み

人も去り国も去り 多くの同じものたちが滅んだあと

何もない土の上で 長い間ひとりきりだった声と音とが

生まれたばかりの震えをはさんで見つめあっていた

 

 


 

 

 

 

 

 天響的黄金

 

 

冬の陽は降り

地は紫になり

雪は一言に昇る

翼は一瞬を負い

朝を蹴立てて

音は姿を撒いてゆく

 

 

雨のつづき

戻らない色

薄目をあけた午後の

窓に映る抱擁

 

 

すべて重なりあうもの

重なりあい独りのもの

空を放ったあとの願いの

傷ひとつない熱のように

夜の川を越えてゆくもの

氷の下にひろがる紅葉を

ひとつひとつ踏みしめて

 

 

花と涙が互いを呼びあう

こんなにも近くにいることさえ知らずに

手のひらと光は伝えあう

言葉と言葉の間の無から

広きものが生まれる様を

真緑の道をひとりかがやき

通りすぎてゆく黄金の背を

 

 


 

 

 

 

 

 秘名

 

 

いつかわたしは

わたしから名を与えられた

わたしではないわたしが

鳥のように道に立っていた

地にも 空にも

翼は落ちていた

 

 

遠い光の日に

熊は斃された

血は流れ

人の内に入る

地の内に入る

 

 

落ちる空を見ていた

手のひらを流れる血の上に

落ちてくる空を見つめていた

ひろい場所にひとり立って

雪のはじまりを見つめていた

崖に映るギリシャ文字

音のようにかがやいていた

 

 

 

生まれつづける船にのって

わたしは誰かの目かくしを取ろう

誰かに目かくしをされていることを忘れることなく

わたしは誰かのうしろに立とう

微笑みかけたものを微笑みにしよう

ふくらみかけたものをふくらみにしよう

見知らぬ名前

わたしの名前

生まれつづける船にのって

生まれつづける海をわたる

 

 


 

 

 

 

 

 昇灰華

 

 

色とりどりの人々が

角を曲がっては消えていった

降る雪の一粒一粒が太陽になり

地を貫いてはかがやいていた

空に届かぬものと

地に届かぬものとが手を取り合い

壁を巡りつづけるものの目に光を注いだ

 

 

 

音が吹き寄せていた

歌は凪いでいった

ひとつの声を残して

原は微笑むことをやめてしまった

 

 

 

熱のない太陽のあつまりが

静かに光の板を食んでいた

木々のあいだに木々があり

木々のむこうの木々のむこうに

空は白い岩のように立っていた

 

 

 

誰も吠えない月の夜に

階段を作っては壊す光

夜は晴れて

土の下を照らし

背の文字は消えかけて

守るものはなくなって

電線の影が編む色に

雨が去った後の色にひろがる

ふたつの町の重なりのなかを

誰もいない

誰もいないと歌い飛ぶ鳥

やがてひとりへと還る鳥

 

 


 

 

 

 

 

 ノート(木蓮)

 

 

何もない手に

白が降りて

名前を呼んだ

 もくれんよ

 もくれんよ

 

 

微笑む間もなく

雨は来て

空を伝い

午後を撒いた

 

 

灰の鱗

一人歩きの傘

午後の陽の行方を 耳で追い

かすかな声にたどりついた

 

 

得られぬことを知りながら

空へ 空へ のばされる手に

ひとつ またひとつ

ちから無きちからのかたちに満ちてゆく

 

 

 もくれんよ

 もくれんよ